第8回ウェルビーイングラウンジ「子どもの権利とは何か?」
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アクティブラーニング教室(東京科学大 湯島キャンパスM&D タワー4階)
2025年3月4日(火)16:00~
2025年3月4日、松蔭大学副学長・教授の松浦広明先生をお迎えし、第8回ウェルビーイングラウンジ「子どもの権利とは何か?」を開催しました。
ご講演内容のサマリーを紹介します。

1. 人権とは何か?:子どもは大人と同様、人権の享有主体である
まず、人権とは、国家や法律に先立ち、個人が人間であることによって本来的に備わり、国家や他の何者によっても侵害されることのない権利である、という意味で自然権の一種であるという基本的な原則から説明されました。これは1948年の世界人権宣言で初めて明文化され、地球上のすべての人間が人権という同じ権利のパッケージを持つという道徳的規範が生まれるきっかけとなりました。それ以前の時代にも、同じような権利を認めた経典や宣言(宗教的ヒューマニズム、フランスの人および市民の権利の宣言、アメリカ独立宣言など)はありましたが、それらは異教徒、女性、奴隷など、一部の人口集団を権利保持者から排除しており、世界人権宣言を持って初めて、地球上のすべての人間に適用される権利に対する道徳的規範が生まれました。子ども達も「すべての人間」に含まれるサブ集団である以上、大人と同様、人権享有の主体である事をまず確認されました。
自然権という発想が18世紀後半に議論されていた頃、今日の経済学の哲学的基盤である功利主義の祖、哲学者ジェレミー・ベンサムは、自然権としての人権のアイデアを批判し、国家によって保障された法的権利でなく、何の後ろ盾もない自然権としての人権はナンセンスであると論じました。近年、経済学者で哲学者でもあるアマルティア・センは、それに反論し、道徳的権利としての人権の重要性を説き、立法に反映されるかどうかに関わらず、社会に開かれた批判的な精査と監視を通じて、道徳的権利としての人権には、依然として、社会を改善に導く力があると主張しました。また、人権を道徳的に認めることは、あらゆる人権侵害を防ぐために世界中のすべての人が必ず支援を求められるという主張ではなく、むしろ、そうした権利侵害を防ぐために役立つ立場にある人が、その権利を考慮して行動する義務を課すという、緩やかな規範的枠組みであるという見解が示されました。センは、そのような緩やかな義務の積み重ねが、現実の人々の境遇を改善していく可能性を示唆しています。
センが主張する道徳的権利としての人権の有用性にかかわらず、実際には、世界人権宣言の採択後、国際社会はその宣言に法的拘束力を持たせるため、さまざまな国際人権条約を締結しました。その中でも、国連総会で採択された、履行状況を監視するための人権条約機関が設けられている、いわゆる「国連主要人権条約」が9つあり、子どもの権利条約もその一つに位置付けられています。また、国連総会は、国連人権理事会を通じて人権状況の改善を確認するための制度も整備しており、普遍的・定期的レビューおよび特別手続きを通じて各国の人権状況の改善に努めています。特に、人権理事会による普遍的・定期的レビューと、各種条約機関による審査は両輪となり、国連加盟国の人権状況を監視・改善していく主要なメカニズムを形成しているという説明がありました。
それ以外にも、欧州・米州・アフリカに存在する地域人権メカニズム、SDGs231指標の一つでもあるにパリ原則に準拠した独立した国内人権機関も、国際的な人権状況の改善に大きな役割を果たしていると説明がありました(ただし日本ではこれらのメカニズムを利用する事は出来ません)。
その後、人権には具体的にどのような権利が含まれるのかについて議論されました。観光権や経済制裁からの自由を例に挙げながら、どの権利を人権として認めるかは難しい問題であると論じつつ、世界人権宣言や各種人権条約がその指針を示しているとの説明がありました。また、各々の権利をどのように体系的に理解するのかも難しい問題ですが、各権利を、第一世代(18世紀末に誕生した自由を確保するための市民的および政治的権利)、第二世代(20世紀初めに誕生した経済的平等を確保するための経済的・社会的・文化的権利)、第三世代(20世紀後半に誕生した博愛と連帯の精神がもたらす新しい権利)と成立した時期に基づいて分類をするカレル・ヴァサックの提案が比較的支持されていると言う話がありました。人権についての一般論を確認した後、子どもの人権に特有の事情について、特に「一般原則と進化する能力」や「健康権と生命・生存および発達に対する権利」を中心にお話しいただきました。

2. こどもの人権、特有の事情とは
1989年に国連総会で採択された子どもの権利条約(CRC)は、子どもに関する特別な権利を定めたものではなく、本来すべての人に適用されるべき人権を、子どもも同様にきちんと享受できるように定めたものだと説明がありました。女性や人種、障がいの有無などによる差別に対応する国連の主要人権条約があるように、CRCもまた、「子どもである」という理由だけで、本来享受できるはずの人権が妨げられることのないよう保護することを目的としたものとの事です。
CRCには4つの一般原則があり、「差別の禁止」「子どもの最善の利益」「生命・生存および発達に対する権利」「子どもの意見の尊重(意見表明・意見を聞いてもらう権利)」がこれに該当します。 さらに、一般原則として公式に認められてはいませんが、「隠れ原則」とでも言うべき、子どもの「進化する能力(第5条)」という概念があります。 これは、広い意味での子どもの保護責任を負う者が、子どもの発達しつつある能力に応じた適切な指導や助言を行う責任・権利・義務を尊重すべきと定めるものでCRCの中で初めて提唱された概念です。
この「隠れ原則」は特に「意見を表明する権利・聞いてもらう権利」と密接に関連しており、子どもが自分の希望や能力に応じて意思決定を下せるよう、子どもの成長に合わせた意思決定プロセスへの参加を考慮する必要があります。能力が高まる毎に、子どもに情報を与える段階から、それに基づいて見解を表明させる段階、その見解を考慮する段階、そして、最終的に子どもが主要な意思決定者または共同意思決定者となる段階へとシフトしていき、最終的に単独で意思決定を行える完全な主体へと進化していきます(この概念は、「なぜ子どもには、人権であるはずの選挙権がないのか?」という疑問に答えるものでもあります)。
医療分野では、子どもの主体性は歴史的に尊重されており、自分の好みを表現できる子どもは、例え、子どもの意見が、結果を決定する決定的なものと見なされずとも、頻繁に意見を聞かれます。1986年のGillick v West Norfolkで判事されたギリック能力テストは、実際に、子ども達が医療に同意する能力を測定する事を要請しています。「意見を表明する権利・聞いてもらう権利」の根底にある考え方は、先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)における「自由意志による、事前の、十分な情報に基づく意思決定(FPIC)」の根底にある考え方と似ていると言う話もありました。
CRCは、子どもの権利保障を目的に作られていますが、「家族の自主性を尊重する原則」という自由権規約やその他の地域人権条約でも確認されているもう一つの人権とのバランスを考える必要があります。この点については、CRC第9条(親と引き離されない権利)と第18条(子どもの養育はまず親に責任)でそれぞれ言及されています。

この状況を理解するカギは「権利に基づくアプローチ(Right-based Approach)」です。このアプローチは、権利を実現する義務履行者(duty bearer)と権利保持者(right holder)の関係で、人権を理解しようとする枠組みです。多くの人権と同様、例えば、健康権では、義務を一義的に負うのは医療制度を担う政府であることが多く、権利を持つのは国民や患者となります。一般の方々が「人権」と聞くと、権利保持者の権利主張に目が行きがちですが、同様に重要なのは、義務履行者がその義務を果たすために、財政的、技術的、組織的支援を提供することです。国際人権条約における義務履行者は国家であることが多いですが、他の主体が義務履行者になることもあり得ます。特に子どもの人権を考える上では、家族が重要な役割を果たします。
子ども家庭庁創設時には、その名称に「家庭」を含めるかどうかについて議論がありました。その後、子ども家庭庁は「こども真ん中」という副題を使用するようになりました。この「こども真ん中」という概念は、人権の視点から、子ども(権利保持者)を中心に据え、その周囲に家族(主要な義務履行者)が位置し、さらに地域、社会、国家、国際社会と、義務履行者が階層的に連なり、権利と義務の連鎖が外向きに広がっていることを示しています。
子どもの権利と家族の自主性を尊重する権利は本来、対立するものではありません。正当かつ明確な理由もなく、親以外の人物や国家、あるいは行政機関が、親が義務履行者としての責任を果たせないようにしたり、それを脅かしたりする状況を、当然ながらCRCも、その他の国際人権条約も望んでいるわけではありません。この点は、子どもの権利を考える上で心に留めておくべき事だと説明されていました。
公衆衛生学徒にとっては、CRCが健康権(24条)を定めているだけでなく、生命権、生存権、発達権を6条で定め、健康権を越えた健全に発達する権利を要求している事は注目に値します。例えば、公衆衛生分野の研究者が、Barker仮説に則り、子宮内でスペイン風邪やラマダンに曝露した胎児の影響を分析する時に、子どもの健康アウトカムへの影響がうまく検出できない事があります。そのような場合でも、長期の就学年数への影響をアウトカムに使うと検出できる事があり、健康への有意な負の影響は観察されないけれども、長期的な発達に負の影響を与えると言ったケースはあるので、公衆衛生研究において有益な情報源であると言う話もされました。このような枠組みを使うと、児童虐待、女性器切除、人身売買、少年兵、児童労働、早期婚など、子どもに影響与える様々な悪習慣の長期的な影響の分析が可能になるとの話もありました。さらに国籍・氏名を持つ権利(第7条)にあるように出生登録を受ける権利についても話されました。

松浦先生は、博士課程の時に健康権が国際条約や憲法を通じて導入されると、本当に子どもの健康改善が起きるのだろうかという事に疑問を持ち、各国の健康権の批准や憲法における健康権条文導入のタイミングと子どもの健康との関係を分析しました。このアプローチは、今日では、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が提唱する人権指標アプローチ(構造指標(条約の批准など)・プロセス指標(国の医療政策など)・アウトカム指標(健康アウトカム))の枠組みとも深い関係があります。分析の結果、CRCを始め、健康権が含まれている国際人権条約の批准前後では、子どもの死亡率の減少は認められなかったのですが、憲法上の健康権条文の導入は特に民主主義国家で、子どもの死亡率減少に有意に貢献している事が確認されました。別の研究では、米国の州政府の健康権の条文を使い、州政府の医療提供の義務や州民の健康権を認めた強い健康権へのコミットメントを表明した州憲法の条文は、特に非白人の間で乳児の死亡率を減少させている事を確認しました。またラテンアメリカ諸国のミクロデータを使った研究でも、憲法に健康権条文を導入すると、その後、貧困の母親から生まれた子どもの死亡が減少する事が確認できたそうです。
国際人権条約における健康権の条文は、たとえCRCのように発達権といった、健康への強いコミットメントを求める権利を併記していても、子どもの死亡率の改善に直接結びつかないという知見は、CRCをはじめとする国際人権条約の批准が、人々の健康を守る上で十分な効果を上げていないことを示唆しています(ただし、死亡を伴わない健康状況や発達状況への影響に関しては未だ研究がないので不明です)。子どもの死亡率の改善に結びつけるために、憲法条文における健康権の認知が必要であるとするならば、国際的にこれを実現するためには、各国にさらなる健康権への法的コミットメントが求められるとお話されました。
実証的には、CRCは子どもの死亡率の改善に結びついてはいないものの、CRCにも、子どもの人権状況の進捗状況を監視するメカニズムはあります。条約を締結した国は、初回は2年以内、その後は5年ごとに、条約に定められた子どもの権利を改善する取り組みに関して報告書を作成し、国連子どもの権利委員会に提出します。子ども達、市民社会・学術機関なども並行報告を行い、必要な時は、国の代表を交えて会議を行います。それをもとに、委員会は、各国の状況を評価し、懸念と勧告を「最終見解」として公表します。公衆衛生学者は、このようなプロセスに携わる事でも、自国の子ども達の権利推進に貢献する事ができるとの説明がありました。なお、日本では個人通報手続きに関する選択議定書が未批准なため、個人が国家を超えて、国際機関に直接、通報する経路は遮断されています。これも一つの課題であると言う話がありました。
さらに最近の展開として、子どもの権利実現のための予算、子どもの権利影響評価、子どもの権利の主流化などに関する議論も取り上げられました。
3. まだ生まれてない子どもの権利

最後に、将来世代の子どもたちの権利について触れられました。オックスフォード大学の哲学者、マッカスキル氏の「見えない未来を変える『いま』:〈長期主義〉倫理学のフレームワーク」を引用し、将来生まれる子どもたちの数が、現在生きる子どもたちやこれまで歴史上で生まれては亡くなった子どもたちの数を大きく上回ることを示されました。その上で、未来世代の子どもたちの状況に対する懸念が、近年議論を呼んでいると述べられました。
2022年には、国連総会で「清潔で、健康的で、持続可能な環境権(通称、健康的な環境権)」が最も新しい人権として圧倒的多数で採択され、翌年には、CRCの一般的意見26で、子どものコンテキストにおけるこの権利の解釈が表明され、国家の説明責任を強化し、子ども達の声を取り入れ、国境を超えて気候変動に対して具体的な行動を起こすことを求めています。
昨年9月の国連未来サミットの一年前には、将来世代の人権に関する議論がヨーロッパを中心に盛り上がりました。将来世代の人権を認める事は、資源の足りていない状況においては、現役世代の人権をないがしろにするだけだという批判がある一方、すでに世界中にある先住民族法、先住民族の権利に関する国際連合宣言、ILO169号、気候変動訴訟における最近の判例での「将来世代の権利」の認知は、この権利がすでに多くの国で認められている証拠であると言った議論を紹介されました。
残念ながら、2024年の国連未来サミットで採択された未来のための協定の付属文書である「将来世代に関する宣言」においては、将来世代の「人権」と言う言葉は含まれず、将来世代のニーズと利益を考慮する事を表明するにとどまりましたが、今後も、将来世代の権利に関する論争は続くでしょうと言うお話でした。

最後に、健康権と健康的な環境権の関係について触れました。健康的な環境権は、本来、健康権の一部として位置付けられてもおかしくない人権ですが、たとえ健康的な環境権を憲法上の条文として導入したとしても、それが子どもの死亡率の減少に有意に結びつくわけではなく、一方で化石燃料のエネルギー消費量は減少する傾向がある、という先生の現在進行中の研究について話がありました。このような結果は、健康的な環境権の憲法上の認知が、現代ではなく将来の健康改善につながる可能性を示唆しており、憲法上の健康権の導入が現在の子どもたちの健康を改善し、その一方で、健康的な環境権が環境改善を通じて将来の子どもの健康を改善するという分業的な関係にあるため、すでに憲法上で健康権が認められている国であっても、健康的な環境権が将来の健康を改善する可能性があることが示唆されました。
駆け足になりましたが、子どもの権利と現在向かっている方向性についてお話しさせていただきました。参考になれば幸いですとの事です。
